菅江真澄、記憶のかたち

 菅江真澄は江戸時代後半の人物だが、特に有名ではないだろう。功成り名遂げた人物ではないし、大事件に関わった人物でもないからだ。

 秋田県内の各地に「菅江真澄の道」と書かれた白い標柱が立っており、それが私が菅江真澄に関心を持つきっかけとなった。関心を持って色々と調べてみると、なかなか興味深い人物だった。

 菅江真澄は紀行家、本草学、歌人など様々な顔を持っている。宝暦4(1754)年に三河で生まれ、30歳のときに信濃に出立し、越後、出羽を通って蝦夷地と呼ばれた北海道を目指した。しかし3年待てとの御告げを受けて、奥州を南下して平泉や松島を訪れ、再び北上して蝦夷地に渡っている。4年後に津軽海峡を再度渡り盛岡藩、弘前藩を歩き、48歳のときに久保田藩に再度入ってから生涯を久保田藩内で過ごした。
 この間に旅先で見たものを克明に記録している。それは文章だけでなく、色付きの詳細なスケッチを残しており、当時のことを知る第一級の資料となっている。奥羽やアイヌの民衆を偏見の目で見ることなく、温かい眼差しで接しているのも素晴らしい。現在、重要無形民俗文化財などに指定されている様々な行事も、それを初めて記録したのが菅江真澄であるケースも多い。
 日本の民俗学の父とも呼ばれた柳田国男は菅江真澄を民俗学の先覚者として高く評価し、それをきっかけに再評価が進んだ。

 菅江真澄は四半世紀を久保田藩で過ごしている。通常であれば他国者はあまり信用されないものである。実際に弘前藩ではスパイの容疑をかけられて多くの書類が没収されている。しかし久保田藩では藩から地誌編纂を命じられるなど、強く信頼されていた。久保田藩領内をくまなく歩き回わりに多くの資料を残したが、仙北郡で病の床につき他界した。

 芭蕉の足跡を訪ね歩いたり、重要無形民俗文化財などに関心を持つ私が菅江真澄に強く惹かれたのもまあ不思議なことではないだろう。

 9月23日、秋田市寺内にある菅江真澄の墓をお参りした。
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 菅江真澄の墓は寺内の旧道の古四王神社向かいに入口がある。
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 ついで秋田県立博物館を訪れた。
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 現在の企画展は「菅江真澄 記憶のかたち」。
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様々な資料の実物が展示されていた。ただ撮影不可で、資料は手にとって見ることは出来ない。
 
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県立図書館には菅江真澄資料センターが併設されており、ここの資料は充実している。多くのことはここで学ぶことができるので、私も何度も足を運んでいる。
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菅江真澄の世界に浸ってから帰宅の途へ。
この時は稲刈り直前で、黄金色の稲穂の海が広がっていた。
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途中寄った上飯島駅
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秋田県立博物館ホームページ
https://www.akihaku.jp

この夏、秋田県民を熱狂させた金足農は県民博物館のすぐそば。


奥羽本線
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今後は菅江真澄の足跡を訪ねて各地を歩く予定。

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この記事へのコメント

2018年10月18日 10:06
菅江真澄は初めて知りました。本草学にも造詣が深く、色つきの資料を残したとしたら、自生の薬草などをスケッチした可能性もありますね。そうした資料を見てみたい気がします。
草花が好きなものに悪人はいない、そう信じているので、菅江真澄が久保田藩で信用されたのは頷けます。
2018年10月18日 10:19
こんにちは。

菅江真澄ですか。。。
知りませんでした。
桑田真澄なら知ってます。。。って違うか。
資料館もあるんですね。
一度調べてみます。
2018年10月19日 00:04
こんばんは。
私も菅江真澄さんは、初めて知りました。
秋田の地で長く過ごされたのですね。
色々調べていくと楽しいですね。
資料センターはとても興味深いですね。
2018年10月19日 16:42
菅江真澄の知名度が低い事は、3名のコメントからも分かります。
実地調査して、執筆して、記録に残す。画術にも優れたものがあり彩色を施したスケッチを残す。
文化人類学者みたいですが、実務型の優れた人物でしょうか。
75歳で亡くなっているので、江戸時代だと長く生きた方ですね。
色んなところを訪ね歩く、降魔成道さんとも重なるので、惹かれる気持ち良く解ります。
2018年10月19日 22:34
菅江真澄は
旅先の各地の いろいろな記録を
残し 歌人でもあり 民俗学者でも
あり 才能豊かな人だったんですね。
最期は 秋田に落ち着き 数多くの
資料と共に 今も 大切にされて
いらっしゃる方だなと 思いました。
2018年10月20日 11:01
知りませんでしたが
半生を秋田で過ごし
秋田で生涯を終え
秋田の文化を高めたひとりである
菅江真澄に惹かれるお気持ちが
わかる気が致しました
2018年10月24日 20:49
長さん、コメントありがとうございます。
菅江真澄が何で生計を立てていたか不明ですが、本草学の知識ではないかと考えられています。薬草に関する知識はどこでも重宝されたでしょうからね。それに人柄が良くなければこの様な人生は送れなかったでしょうね。
2018年10月24日 21:23
トトパパさん、コメントありがとうございます。
菅江真澄は、多くの人は知らないでしょうからね。
2018年10月24日 21:42
ゴンマックさん、コメントありがとうございます。
興味を持って調べるとますます興味が出ました。これから菅江真澄に関するブログ記事も増えそうです。
2018年10月25日 21:02
アルクノさん、コメントありがとうございます。
能因、西行、芭蕉、真澄のように旅の人生に憧れています。現実には叶わぬ夢ですが。
菅江真澄の足跡は、その多くが秋田県内にあるので、少しずつ回ってみようと思っています。
2018年10月25日 21:47
フラバーバさん、コメントありがとうございます。
菅江真澄は本当に才能豊かですよね。そして人柄も良かったからこそこの様な人生を送れたのでしょうね。
2018年10月27日 20:05
ジュンさん、コメントありがとうございます。
菅江真澄は三河国出身で、秋田で人生を終えました。
私は武蔵国出身で、秋田で人生を終えるかも。
まあ状況は全く異なりますけどね。

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