亀田藩城下町散策

 4月26日(日)、亀田藩の城下町、秋田県由利本荘市岩城亀田を散策した。秋田県にも緊急事態宣言が発令されて最初の日曜日、人の集まりそうにない場所なら良いのではないかと出かけてみた。

 平成の大合併で本荘市と由利郡矢島町、岩城町、由利町、西目町、鳥海町、東由利町、大内町が合併して由利本荘市が誕生したが、岩城亀田は旧岩城町にある。ここは亀田藩2万石の城下町で、藩主は岩城氏。つまり旧藩主名が町名であった。岩城氏は平安末期頃から奥州南部に進出し、現在の福島県いわき市を本拠とした大名である。「いわき」の漢字表記には変遷があり、律令制下における郡名は「石城」だった。また陸奥国から石城国が分立された期間もあった。岩城氏が支配していた時代は「岩城」であり、江戸時代以後は「磐城」である。明治政府によって陸奥国は磐城国、岩城国、陸前国、陸中国、陸奥国(りくおうのくに)に分割された。昭和41年の大合併でいわき市が誕生するまでは磐城市だった。

 昭和61年その福島県いわき市と秋田県由利郡岩城町は岩城氏の縁で親子都市締結した。友好都市関係で親子都市というのは私が知る限りでは、他に京極氏の縁で香川県丸亀市と北海道京極町が締結している。丸亀藩主京極氏は維新後に子爵に列せられながら北海道開拓に従事し、後に町名の由来となった。上記の通り岩城町は大合併により由利本荘市となったが、由利本荘市といわき市の親子都市関係は引き継がれている。一般には姉妹都市という言葉が使われているが、これはアメリカ英語における sisiter city に由来する。英語を除く欧州言語では名詞は男性名詞、女性名詞、中性名詞などの性別があり、一般に都市名は女性名詞であるためドイツ語やスペイン語などでも姉妹都市と呼ぶ。ロシア語では都市名は男性名詞であるために兄弟都市と呼ぶ。同じ英語でも英国では twin city と呼び、フランス語やイタリア語でも双子都市と呼ぶ。漢字の姉妹や兄弟には上下関係があるために日本と中国の都市の間では単に友好都市と呼称している。なお友好都市締結に関する国際条約も国内法も存在しないので、呼称だけでなく中身も統一されていない。

 岩城氏は岩城を拠点に現在の福島県茨城県に勢力を伸ばすが、戦国時代には近隣の相馬氏や田村氏と抗争し、伊達氏や蘆名氏が勢力を伸ばすとそれらや南の佐竹氏などと激しく抗争した。伊達氏が宿敵・田村氏と婚姻したことから佐竹氏に近づき室を迎えるなどして関係を深め、小田原征伐直後に17代当主の岩城常隆が病死した後を佐竹義重の三男・佐竹貞隆が岩城貞隆として岩城家を継いだ。関ヶ原合戦においては兄・佐竹義宣に従い上杉景勝征伐に参戦しなかったため処分され、12万石の所領は没収された。家臣の多くが離散したが岩城貞隆は岩城家復興を幕府に働きかけ、大坂夏の陣での戦功をあげたことにより松平忠輝改易後にその旧領の一部である信濃国中村に1万石を与えられて大名としてお家再興に成功した。貞隆の後を長男・吉隆が継ぎ、最上騒動で最上氏が改易された後にその旧領の一部である出羽国亀田2万石に転封された。
 岩城吉隆は伯父である佐竹宗家・久保田藩主の佐竹義宣の養子となって佐竹義隆と改名して藩主を継ぎ、信濃国中村藩1万石から亀田藩2万石、さらには久保田藩20万石の藩主と特異な人生を歩んだ。他方亀田藩は藩主を久保田藩に迎えられたため久保田藩から佐竹義宣の弟で岩城吉隆の叔父である宜隆を藩主に迎えた。このように亀田藩は立藩当初から隣接する久保田藩の影響を大きく受け、城下建設などにも多くの支援を受けたために久保田藩の支藩のような立場となり、その反発から逆に久保田藩との対立を招いている。亀田藩4代藩主秀隆が嫡子なく没し、仙台藩主・伊達吉村の弟・隆韶(たかつぐ)が5代藩主として迎え、以後佐竹氏との血縁関係はなくなった。

 前置きが長くなってしまった。私が実際に亀田城下を訪れたのは今回が初めてである。秋田市の自宅から車で1時間足らずで来られる場所であるが、逆に中途半端に近いためいつでも来られるので後回しにしてしまったようだ。亀田城下は残念ながらあまり城下町を感じさせる場所ではなかったが、まあそれはここに限らず城下町の風情を残す場所は少ないので仕方ないことかも知れない。まずは龍門寺を参拝した。

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参道にミズバショウが咲いていた。IMG_6875.JPG

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桜の花の下に六地蔵IMG_6880.JPG
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龍門寺の本堂 IMG_6882.JPG

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本堂の裏手の高台に岩城氏霊廟があるようだ。IMG_6885.JPG

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次に亀田城を訪れてみた。信濃国中村から出羽国亀田に転封された岩城氏はここに拠点を築くが、実際には城郭ではなく陣屋だった。大名とは言え2万石の格では新しい城郭を築城するのは無理だったのである。その亀田陣屋も戊辰戦争で焼失し、遺構はほとんど残っていない。写真は模擬大手門。IMG_6896.JPG

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こちらは天鷺ワイン城。特産のプラムワインの製造工程の見学や試飲が楽しめる。しかしコロナ禍の影響で休館中。IMG_6899.JPGIMG_6900.JPG

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ワイン城のある高台から眺めた亀田IMG_6903.JPG
真宗大谷派 長応寺
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熊野神社
 亀田周辺の鎮守として信仰を集めた。
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浄土宗 正念寺IMG_6909.JPG
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真宗大谷派 長照寺IMG_6865.JPG
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真宗大谷派 西円寺
真宗大谷派の寺院が多いように感じた。IMG_6867.JPG

佐々木利三郎家住宅
 明治時代の商家IMG_6868.JPG

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最後に日蓮宗 妙慶寺
 亀田藩2代藩主岩城宣隆の室となった顕性院が正家である真田家一族を弔うために建立したと伝えられている。顕性院の諱は直(なお)または田(でん)で、お田の方などとも呼ばれた。真田信繁の五女である。大坂夏の陣で父・信繁敗死後に残党刈りで捉えられ、江戸城大奥で奉公の身となった。寛永3(1626)年、将軍家光と大御所秀忠が上洛したおりにお供した久保田藩主佐竹義宣の給仕女となり、ある朝、薙刀で女中衆に稽古をつけていたことが義宣の目に留まり、出自を問われて信繁の娘であることを知った義宣の仲介で弟の多賀谷宣家(後の岩城宣隆)の室となった。妙慶寺は当初久保田城下に建立されたが、岩城宣隆として亀田陣屋に移住することとなった折に亀田に移された。
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真田家累代の墓
 NHK大河ドラマ「真田丸」が放映された年には多くの参拝者が訪れたらしい。IMG_6915.JPG
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JR羽後亀田駅
 亀田城下から最寄りの駅であるが、城下まで結構な距離がある。
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羽越本線

鶴岡・・・・・・・・・・・・・・象潟-金浦・・・・・羽後亀田・・・・・・秋田

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この記事へのコメント

2020年05月04日 01:08
こんばんは

亀田ですか。
全く知らなかったです。
いい感じのところですね。
ほんと、人も全然いない。。。
ワイン城、いいですね。
美味しいワインがあるんですかね。
2020年05月04日 09:47
おはようございます
杉林の荘厳なお寺さん
ですねー
何処も休館中残念ですけど
2020年05月04日 11:20
龍門寺 静かな 威厳の感じられるお寺ですね。
参道のミズバショウを見ながら
また ヒッソリとした 林に囲まれた 苔むした
石段を歩くのも 気持ちが落ち着く気がします。
いい所ですね。
2020年05月04日 12:01
静かな城下町や旧跡の散策、いいですね。こちらの岩城氏は、名門だったのですね。亀田藩の激動の歴史も、興味深かったです。
疑似大手門も重厚でいい感じです。実際は、陣屋だったのですね。地元愛を感じます。
龍門寺の墓所を拝見すると、小藩ながら格式と誇りをもって家を存続してきたことが偲ばれます。
更に、真田信繁の娘が岩城家に輿入れしていたのですか。実際に秋田の地にも居住したのでしょうか。いろいろと想像してしまいますね。
降魔成道
2020年05月04日 16:58
トトパパさん、コメントありがとうございます。
亀田は全く有名ではありませんからね。私も出かける前後に調べたのでちょっと知っている程度です。コロナでなくてもたぶんそんなに人は出歩いていないと思いますよ。観光施設は別として。岩城亀田はプラムワインの名産地です。
降魔成道
2020年05月04日 17:25
すーちんさん、コメントありがとうございます。
緊急事態宣言でとこも休館ですね。個人的には図書館と美術館の休館が辛いです。ちょっとした暇つぶしにもよく通っていましたから。
はるる
2020年05月04日 18:43
直立に伸びた杉、このようなところ、歩いてみたいです。
今の世の中、なおさらそう思います。
静かな空気感、落ち着きますね。
高台からの景色はすばらしいです。
ということはずいぶん登ることになるのですね。
降魔成道
2020年05月05日 23:06
フラバーバさん、コメントありがとうございます。
龍門寺を参拝したのは今回が初めてですが、私も思ったより立派な寺院で驚かされました。小藩とは言え藩主の菩提寺ですから風情はありました。他に人がいないのも良かったです。
2020年05月06日 01:23
こんばんは。
龍門寺、歴史を感じさせるお寺ですね。
山門をくぐると静かな感じがしますね。
ミズバショウも咲いていて、素敵ですね。
羽後亀田駅、砂の器のあの駅ですよね。
2020年05月06日 08:57
由利本荘市の名前を聞いたことがあっても、全くイメージがわきませんでした。
亀田城は城というより陣屋だったようで、それでも亀田藩は明治の廃藩置県まで栄えたといいます。
亀田藩主岩城家墓所のある龍門寺は禅寺らしい雰囲気で、訪れる価値は高そう。
緊急事態宣言が続く中での三密を回避した城下町の散策、いい運動になったと思います。
降魔成道
2020年05月06日 21:09
ミクミティさん、コメントありがとうございます。
岩城亀田にも天鷺村のようなテーマパークがあるのですが、昨今の緊急事態宣言で休館中。城下町は静かなものでした。ゆっくりと巡るにはかえって好都合だったかも知れません。
歴史の主役には程遠い存在でしかないにしろ、生き残りをかけて戦った小さな戦国大名の歴史も調べれば興味が尽きません。岩城氏も周囲の戦国大名との抗争や、お家再興、転封も大坂の陣や松平忠輝改易、最上氏改易などの大きな出来事と深い関連があったり、面白いものです。
大河ドラマ「真田丸」のドラマの後に紹介されるゆかりの地で亀田の妙慶寺も紹介されたそうで、その年は多くの観光客が押しかけたそうですが、私が訪れた時はひっそりとしていました。
2020年05月06日 22:45
こんばんわ。

岩城家霊廟はそれなりの雰囲気をもった近寄りがたい場所ですね。
ワイン工場もあるんですね。
信濃の真田の紋を見るとは驚きです。
東北まで縁があったんですね。


降魔成道
2020年05月06日 22:47
はるるさん、コメントありがとうございます。
コロナ禍の今だからというわけでもありませんが、清閑な寺社をゆっくりと参拝するのも良いものですね。ワイン城の高台は車で登ったのですが、徒歩や自転車だったらかなり大変だっただろうと思います。
降魔成道
2020年05月06日 23:17
ゴンマックさん、コメントありがとうございます。
おお、「砂の器」で登場した羽後亀田駅をご存じでしたか。映画やテレビドラマでもロケで登場していました。「砂の器」は松本清張作品の中でも私のお気に入りの作品です。
降魔成道
2020年05月06日 23:43
トンキチさん、コメントありがとうございます。
由利本荘市には本荘藩2万石、亀田藩2万石、矢島藩1万石と小藩が3つありました。本荘や矢島には何度も訪れていますが、亀田は今回が初めてでした。藩主岩城氏の菩提寺の龍門寺も初めて参拝しましたが、清閑でとても良かったです。こんな時期だからというわけではありませんが、静かに散策するのも良いものですね。
2020年05月09日 14:04
龍門寺のミズバショウは素敵ですね。
歴史あるお寺巡りがとても楽しそうです。
城下町っていいなぁと、改めて思いました。
秋田県の「亀田」は、松本清張の『砂の器』に
ちょっとだけ出てきた所ですよね。
捜査する刑事が島根県の「亀嵩」と間違えて、
最初に訪れたのが、ここ亀田だったように
記憶しています。小説で親しんでるだけに、
まったく知らない街と思えませんでした。
降魔成道
2020年05月11日 19:04
ロシアンブルーさん、コメントありがとうございます。
実は私もここに真田の六文銭がここにあるとは知らなかったんですよ。真田幸村の娘が秋田に嫁ぎ、真田家の菩提寺を建立したことを知ったのも「真田丸」以後のことです。幸村は東北には来ていませんが、何らかのゆかりのある地はここ以外にも東北に存在するみたいです。
降魔成道
2020年05月11日 19:31
yasuhikoさん、コメントありがとうございます。
私も「砂の器」は読みました。松本清張の代表作の一つと言っても良いですよね。映画化やテレビドラマ化もされていますね。映画では最初のシーンに羽後亀田駅が登場します。実際に亀田でロケも行われてますが、昭和40年代の当時の風景と現代ではさすがに乖離が大きいので、どこがどこかは分かりませんでした。東北と出雲の方言に類似性があるという不思議な事実を巧みに利用した点もなかなかのものでしたね。