横手市金沢~後三年合戦

 10月27日(日)、横手市金沢の後三年合戦の古戦場を散策した。まず最初に訪れたのは横手市金沢の国道13号沿いにある後三年合戦金沢資料館。後三年合戦の最終決戦の地である金沢柵跡の近くに存在する。
 入館料は100円。当日限りだがこの入場券で横手市内にある後三年合戦金沢資料館、石坂洋次郎文学記念館、横手城展望台、ふれあいセンターかまくら館の4施設に入場できる。


IMG_5862.JPG

IMG_5861.JPG

 館内の資料は撮影不可だが、館内の雰囲気を撮影するだけなら可とのことだったので遠慮なく撮影した。後三年合戦絵詞のレプリカがなかなか魅力的だった。
IMG_5859.JPG


IMG_5860.JPG

 後三年合戦について簡単に解説してみたいと思う。そしてその前に行われた前九年合戦についても。当時の奥羽は、現在の宮城県山形県までは朝廷の支配下にあったと言える。そして岩手県秋田県以北は俘囚の支配下にあった。俘囚とは一応は朝廷に服属した蝦夷(エミシ)のこと。朝廷は蝦夷・俘囚を未開な蛮族として蔑視したが、他方において俘囚が朝貢する黄金や馬、鷹、毛皮などは朝廷の貴人にとって憧れの的であった。そして奥羽山脈の東の北上川流域の奥六郡には安倍氏が、西の雄物川流域の山北三郡には清原氏が大きな勢力を築いていた。大雑把に言えば岩手県を安倍氏が、秋田県を清原氏が支配していたと考えて良い。

 問題は藤原登任(なりとう)がは陸奥守として赴任してから始まる。奥羽の豊かさを目の当たりにした登任は安倍氏からその富を略奪しようとして安倍氏を挑発して戦に持ち込むが安倍氏の当主・頼時(よりとき)はこれを打ち負かした。登任は更迭され、代わりに陸奥守として赴任したのが源頼義(よりよし)であった。武家の棟梁たる源氏の赴任には安倍氏も恭順の意を示して従うが、頼義もまた安倍氏の富を奪うことが目的であるため強引に戦を仕掛けるが、またもや勝ったのは安倍氏だった。この時、頼時の娘婿となっていた藤原経清(つねきよ)が朝廷側から安倍氏についている。経清は藤原秀郷の子孫で清衡の父である。頼義は出羽の清原氏に援軍を乞い、清原氏が参戦すると形勢は一気に傾き、そして安倍氏は滅亡した。この安倍氏と朝廷の戦が前九年合戦である。

 経清は惨殺され、清衡の母は清原武貞(たけさだ)の後妻となり清衡も連れ子として清原氏の元で成長した。武貞には先妻との間に真衡(さねひら)がおり、そして清衡の母との間に家衡(いえひら)が生まれた。こうして真衡、清衡、家衡の三兄弟の複雑な血縁関係がのちの後三年合戦の遠因となる。清原氏は一族の合議で物事を決めていたが、清原氏の当主となった真衡は本家に権力を集中させる政策を進め一族の間に軋みが生じるようになってた。頼義の息子である義家が陸奥守として赴任したときに一族の内紛が表面化して一族の長老の吉彦秀武(きみこのひでたけ)と真衡の間に戦が始まり、秀武は清衡・家衡をけしかけて真衡の留守を襲わせた。この騒動に義家が介入するが、真衡が急死し、清衡・家衡は義家に降伏して戦は一旦収まった。義家は真衡が支配していた奥六郡を清衡と家衡に半分ずつ分け与えたが、これに家衡は不満を持った。清原武貞の血を継ぐ家衡は兄・真衡の亡き後は当然自分が当主となると考えたからである。家衡は清衡の館を襲って清衡の妻子を殺害し、清衡は義家に逃げて援助を乞うた。こうして義家は清衡の側に立って家衡らとの戦が始まった。この戦いが後三年合戦である。

 後三年合戦で勝ち残った清衡は本来の父の姓である藤原を名乗り、平泉を本拠地とした奥州藤原氏三代の繁栄を築いた。

 清原氏は俘囚の長とされているが、鎮守府将軍に任命されたなどの件から中央貴族の清原氏の流れとの説もある。清少納言などを輩出した一族である。出羽の俘囚が蜂起して秋田城を襲った元慶の乱において清原令望(よしもち)が下向しており令望の流れではないかという説である。しかし確かなことは不明である。

IMG_5863.JPG

ついで金澤(かねざわ)公園を訪れてみた。後三年合戦最後の激戦地となって金沢柵跡と比定されている場所である。IMG_5865.JPG

IMG_5866.JPG

IMG_5867.JPG

IMG_5868.JPG

IMG_5869.JPG

IMG_5870.JPG

IMG_5871.JPG

IMG_5872.JPG

IMG_5873.JPG

 義家方の先鋒を務めた弱冠16歳の鎌倉景正は、敵軍の放った矢が右目に突き刺さったもののそのままの状態で奮戦して自陣に戻った。景正の矢を抜いてやろうと三浦為次が景正の顔に足をかけたところ、景正は怒って為次に切りかかった。「武士であれば矢が刺さって死ぬのは本望だが、顔を土足で踏まれるのは恥辱だ」と言ったという。為次は景正に謝罪して丁重に矢を抜いたと伝えられている。
 金沢柵落城の後、義家は景正に命じて敵の屍をこの地に葬って杉を植えたと伝えられている。なお景正の子孫には鎌倉幕府創建の功臣の大庭景義や梶原景時などがいる。

IMG_5874.JPG

IMG_5875.JPG

IMG_5877.JPG

IMG_5878.JPG

IMG_5879.JPG

 納豆発祥については諸説あるが、後三年合戦もその一つである。八幡太郎義家が付近の農民に煮豆を供出させそれを藁に包んで行軍しているうちに発酵して納豆が出来たという伝承が横手市~美郷町に伝わっている。よく似た伝承が茨城県水戸市にも伝わっていて、こちらは同じく後三年合戦に進軍する義家軍が水戸の郊外で宿営し、馬の飼料として作った煮豆の残りを藁に包んで置いたら納豆が出来たという説である。どちらも義家が絡んでいて煮豆を藁に包んだら偶然出来たというのが面白い。
IMG_5880.JPG

IMG_5881.JPG

金沢八幡宮へ
IMG_5882.JPG

IMG_5883.JPG

IMG_5884.JPG

IMG_5885.JPG

IMG_5886.JPG

IMG_5887.JPG

兜杉
IMG_5888.JPG

IMG_5889.JPG

IMG_5890.JPG


星兜石
IMG_5891.JPG

兜八幡社
IMG_5892.JPG

金澤八幡宮
 後三年合戦の後に八幡太郎義家が清衡に命じて石清水八幡宮の八幡神を勧請して創建された。
IMG_5894.JPG

IMG_5895.JPG

IMG_5896.JPG

IMG_5897.JPG

IMG_5898.JPG

二ノ丸址
 二ノ丸址には兵糧倉址がある。
IMG_5899.JPG

IMG_5900.JPG

IMG_5901.JPG

兵糧倉址
 金沢柵は兵糧攻めで落城した。 
IMG_5902.JPG


IMG_5903.JPG

イチョウの葉とギンナンが落ちていた。イチョウもギンナンも漢字では銀杏。
IMG_5904.JPG

IMG_5907.JPG
本丸址
 と言っても何もないが。
IMG_5908.JPG

IMG_5909.JPG

IMG_5910.JPG

IMG_5911.JPG

石川露月は明治6(1873)年に秋田県河辺郡(現在の秋田市の一部)出身の俳人。
IMG_5914.JPG

前日の雨で歩きにくいが下ってみた。
IMG_5916.JPG

IMG_5917.JPG

水は湧いていない。
IMG_5918.JPG

IMG_5919.JPG

さらに進んだら十六羅漢が2~3メートルおきに並んでいた。IMG_5920.JPG

IMG_5921.JPG

IMG_5922.JPG

IMG_5923.JPG

IMG_5924.JPG

IMG_5925.JPG

IMG_5926.JPG

IMG_5927.JPG

IMG_5928.JPG

IMG_5929.JPG

IMG_5930.JPG

IMG_5931.JPG

IMG_5932.JPG

IMG_5933.JPG

IMG_5934.JPG

IMG_5935.JPG

IMG_5936.JPG

IMG_5937.JPG

IMG_5938.JPG

 十六羅漢を撮影しながら山道を下っていったら祇園寺に出てしまった。秋田三十三観音霊場第13番札所でまた御朱印をいただいていないが、予定していなかったので御朱印帳を持参していない。IMG_5939.JPG

同じ道を戻るのもなんだから、スマホでGoogle Mapで確認したらぐるりと回って元に戻れそうだ。IMG_5940.JPG

IMG_5941.JPG

前出の鎌倉景正(景政)が射抜かれた右目を洗ったと伝えられているのが厨川だが、この川のどの辺りかは不明。
IMG_5945.JPG


IMG_5946.JPG

 金澤八幡宮の参道を見つけたのでここから上の駐車場まで戻ることとした。
IMG_5947.JPG

IMG_5948.JPG


IMG_5949.JPG

IMG_5951.JPG

この参道もなかなか風情がある。
IMG_5952.JPG

IMG_5953.JPG

IMG_5954.JPG

IMG_5955.JPG

夕陽がだいぶ傾いてきた。
IMG_5956.JPG

IMG_5957.JPG

IMG_5958.JPG

IMG_5959.JPG

金澤八幡宮の駐車場から後三年駅に寄ってみた。
IMG_5960.JPG

そしてすぐそばの温泉に寄ってみた。雁の里温泉。
IMG_5963.JPG

IMG_5964.JPG

湯とぴあ 雁の里温泉
秋田県仙北郡美郷町飯詰字東西法寺181-2
0187-83-3210
ホームページ
泉質 ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉
時間 8:30~21:00
料金 400円
ボディソープ、ジャンプー、リンスあり




温泉ブログ

秋田県
羽後町
大館市
男鹿市
潟上市
鹿角市
上小阿仁村
北秋田市
仙北市
大仙市
にかほ市
美郷町
湯とぴあ 雁の里温泉
湯沢市
横手市

青森県
大鰐町
黒石市
つがる市
平川市
弘前市

岩手県
平泉町

山形県
新庄市
天童市

宮城県
大崎市
多賀城市


奥羽本線
山形-北山形-羽前千歳-南出羽-漆山・・天童・・・・・村山・・・・・新庄・・真室川・・・院内-横堀-三関湯沢・・・柳田-横手-後三年・大曲刈和野・・・和田-四ツ小屋-秋田-土崎-上飯島-追分-大久保-羽後飯塚-井川さくら-八郎潟-鯉川-鹿渡-森岳・東能代・・二ツ井-前山-鷹ノ巣・・大館・・・碇ヶ関-長峰-大鰐温泉弘前川部・・・・新青森-青森

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 81

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

2019年11月30日 01:17
こんばんは

後三年合戦の資料館ですか。
面白そうですね。
あまり知らない歴史です。
100円とは安いですね。
納豆の発祥の地なんですか。
水戸だと思ってました。
2019年11月30日 10:22
4施設に入場できて100円なんて、今時珍しい。奥の資料館が撮影禁止の中、雰囲気だけならと言うのはありがたいですね。
図らずも、歴史の勉強をさせてもらいました。
納豆発祥に八幡太郎義家がかかわっていたんですか。面白い。
2019年11月30日 15:16
金沢公園は とてつもなく 広いのですね。
落ち葉を踏みしめ 石段を通り
ヒッソリとした 杉林を 通り抜け
苔むした 十六羅漢に 手を合わし
一周すると 心が清められる気がします。
歴史を感じながら 歩くのも 良いですね。
降魔成道
2019年11月30日 21:01
トトパパさん、コメントありがとうございます。
そうですね。水戸も納豆発祥の地を名乗っています。結局確かなことは分からないのですよね。稲藁に天然の納豆菌が付着していて、それで煮豆を包むと自然に納豆菌が煮豆を発酵させて糸引き納豆が出来るようです。だから偶然出来た可能性は高いです。大豆も稲も弥生時代から日本に伝わっているので、弥生時代から納豆はあったのではないかとの説もあります。
降魔成道
2019年11月30日 21:36
長さん、コメントありがとうございます。
100円ではどの施設も経費を補えるわけないですよね。ただ人間は欲深いもので、一枚の入場券で他の施設も入場できるとなれば、ついつい他の施設にも足を運んでしまう、のような戦略かも。
歴史上の有名人を絡めた起源はまああまり信用できないですよね。東北には坂上田村麻呂の創建という神社がとても多いです。田村麻呂が訪れていない地域にまで広がっています。同じようにお寺なら慈覚大師の創建と伝えられているのが多いです。しかし慈覚大師は天台座主という高い地位にあり、東北地方をふらふら旅できる立場ではないので、あり得ないことです。慈覚大師創建と名乗っている瑞巌寺・中尊寺・毛越寺・立石寺の四寺廻廊を毎年巡っている私が言うのもなんですけどね。
降魔成道
2019年11月30日 21:53
フラバーバさん、コメントありがとうございます。
金沢公園を訪れたのは初めてですが、確かに結構広かったです。ちょっとした小山がそのまま公園になっている感じでした。そしてここが砦となったのも頷けました。力攻めでは簡単に攻め落とすことは難しいでしょうが、大軍で囲って兵糧攻めしたのは理にかなった戦法であったと思います。兵糧攻めされる側はたまったものではなかったと思いますが。
歴史や信仰を感じながら歩くのは楽しいです。
2019年12月01日 03:40
園内に多くの由来のある史跡があるのでしょうか。
歴史を感じながら歩くのもいいですね。
とても素晴らしい景観ですね。
納豆の発祥の地という言い伝えもあるのですね。
納豆は昔からあったんですね。
色々な説があって面白いですね。
2019年12月01日 08:00
100円で色々な資料館が楽しめるのが良いですね。
前九年・後三年の戦いなど日本史で習いますが
詳しいことは知りませんでした。 奥州の富を
狙った争いでもあったのですね。
俵藤太秀郷や八幡太郎義家などは中央では
英雄ですが、奥州の人達にはどの様に
見られていたのか?
古代から地下資源が豊富な地方だったのが
驚きです。
2019年12月01日 20:49
こんばんは。
皆さんがコメントされてるように、たった100円で4か所見学できるなんて良いですね♪
何だか得した気分になれそうです。
後三年合戦、殺伐とした戦いの末、勝ち取った様子が窺えます。
納豆の由来、面白いですね。
樹齢900年の兜杉、焼失してしまったのですね。残念です。
「後三年駅」があるというのも歴史を物語っているようです。。
降魔成道
2019年12月01日 21:07
ゴンマックさん、コメントありがとうございます。
そうですね。歴史を感じながら歩くのは楽しいです。紅葉の時期でもあるので、歴史に関心がなくても楽しいかも知れません。
納豆の発祥は確かなことは分かりませんが、色んな発祥伝説があるのも面白いですね。
ロシアンブルー
2019年12月02日 23:20
こんばんわ。
後三年合戦の古戦場の散策、資料館他で入館料100円とはお安いですね。
苔むした十六羅漢や参道の苔むした様子、歴史を感じますね。
納豆の起源でもあるのですね~、それにしても納豆を最初に食べるって勇気
がいることでしょうね。
JR後三年駅初めて知りました。
はるる
2019年12月03日 18:42
立派な木がたくさんあります。
木々の合間から神を感じるくらいです。
矢で射られるほうが土足より、そうでしょうね。
歴史を歩く、ですね。
最後は温泉ですか。
2019年12月04日 09:51
こんにちは、奥州藤原氏の話は色々と読みましたが当時の武士とアイヌ民族の熾烈な戦いが行われたのでしょうね、何と言っても黄金や毛皮などの豊富な資金で平泉が栄えたと説明にあった様な気がします、横手市金沢も渋いが歴史を習いながら観光で廻ると楽しめそうですね。
2019年12月10日 21:49
前九年や後三年の合戦の歴史は、各家が複雑に絡み合い壮絶な争いであったと思います。残酷な戦いもあったことでしょう。
そんなかつての合戦場を、現在静かに散策すると不思議な感覚がこみ上げてきませんか。晩秋の味のある景観が素敵ですね。十六羅漢像にも重みを感じます。
充実した散策であったと思います。
そんな散策の後に、温泉に浸かって疲れをほぐすのは最高だなと思います。
2019年12月14日 16:32
我が地元の隣町にある大国魂神社には、
前9年の役の際、源頼義・義家親子が
戦勝祈願のために植えたというケヤキ並木の
流れを汲む天然記念物の並木があります。
そう言う意味で、縁を感じました。
ブログ再開したので、よろしくお願いします。
2019年12月17日 20:53
入館料100円で4施設に入れるなんて太っ腹ですね。
>資料は撮影不可だが、館内の雰囲気を撮影するだけなら可
これは、いい計らいだと思います。
○か×でなく、△行為を認めている訳ですから。
この館内の雰囲気が良く分かりました。

合戦の事、
安倍氏は強かった! の続きで、結局滅亡したんですね。
現国会を想起させます^^;

納豆については、同じような事が複数行なわれていて同時多発的に納豆が出来上ったように思います。
煮豆を藁に包んで行軍するのは、さほど特異な事ではないですから。

様々な遺跡や史跡が残っている様子が分かる、見応えのあるレポでした。
詩音連音
2019年12月20日 08:59
初めまして。
詩音連音と申します。
誰かさんのブログから飛んできました。
過去記事拝見させてくださいねぇ~(^^)
はるる
2020年01月05日 18:35
あけましておめでとうございます。
今年もいろいろな近似を楽しみにしています。
昨年に引き続きよろしくお願いいたします。
降魔成道
2020年01月26日 18:45
ポジティブオーラさん、コメントありがとうございます。
前九年合戦や後三年合戦については私ももともと詳しくありませんでした。平成5年のNHK大河ドラマ「炎立つ」を観て、この時代の東北に関心を持つようになりました。作品は前九年合戦から平泉滅亡までを描いた作品です。それまで断片的なっだ知識が一本に繋がりました。原作小説もドラマも虚構が多いですが、この時代の東北史に関心を持つきっかけとなったことに感謝しています。
東北には田村麻呂に関する神社が多数鎮座しています。八幡宮も。古代中世の出来事で恨みのような感情は全くないと思います。戊辰戦争で賊軍とされた会津などで薩長などに悪感情を持っている人は現在もいるようですが。
降魔成道
2020年01月26日 19:30
ハーモニーさん、コメントありがとうございます。
100円で4施設が見学できるのですから、利益は考えていないでしょうね。後三年合戦金沢資料館だけは横手市中心部から離れていますが、その他3施設は比較的近くに集まっています。後三年合戦の悲惨な体験が、清衡が平泉に浄土を築こうとさせたのだと考えられています。納豆の起源の話が史実とは考えられませんが、このような話が生まれたのは面白いですね。後三年駅がある場所の地名はもちろん後三年ではありませんが、この辺りが古戦場であったことは駅建設の頃にも知られていたのでしょうね。
降魔成道
2020年01月26日 19:56
ロシアンブルーさん、コメントありがとうございます。
4施設を一度に回ったことはありませんが、過去に3施設を巡ったことがあります。平安時代から残っているものはほとんどありませんが、それでも歴史を感じながら歩くのは楽しいです。そうですね、納豆を初めて食べるのは大変だったでしょうね。
降魔成道
2020年01月26日 20:33
はるるさん、コメントありがとうございます。
神社と駐車場はたいぶ上の方にありますが、本来の参道を見つけたのは幸いでした。ここにも様々な歴史があり、それが感じられて楽しかったです。歩くのが一番ですね。
降魔成道
2020年01月26日 20:57
Yoshiさん、コメントありがとうございます。
そうですね。私もエミシはアイヌと同族だと考えています。秋田県内にもアイヌ語由来の地名が多数ありますので。奥州には黄金が多く、大陸との直接交流があったようです。その辺りも調べてみると面白そうですね。
降魔成道
2020年01月26日 21:41
ミクミティさん、コメントありがとうございます。
前九年合戦・後三年合戦に限りませんが、戦は各家の関係が本当に複雑です。安倍氏と清原氏も複雑な婚姻関係で繋がっていて、清原氏が源氏に味方して参戦したときも裏でやり取りがあり、安倍氏本家は滅んでも、多くの一族が清原氏に保護されています。安倍氏の娘で清衡の母が清原氏に後妻として嫁いだのも決して戦利品扱いではなく、両家融和の一つの形だと考えられます。安倍氏滅亡後にその領地を引き継いだ清原氏に対して、安倍氏残党の反乱の記録がなく、事実なかったと思われることもそれを裏付けます。納豆の起源をはじめとして多くの逸話が残され、それらがどこまで史実なのか不明ですが、そんな歴史を感じながら歩くのはとても楽しいですね。
降魔成道
2020年02月02日 19:59
yasuhikoさん、コメントありがとうございます。頼義・義家が前九年合戦での戦勝祈願で大国魂神社にケヤキを植えた逸話は有名ですね。私も何とかブログ再開です。今後ともよろしくお願い致します。

降魔成道
2020年02月02日 21:02
アルクノさん、コメントありがとうございます。
100円で4施設を見学できるのは、利益よりも多くの施設を見学してもらいたいからでしょうね。それによって観光客が各地を回って飲食店や土産屋にお金をおとしてくれれば良しという考えかも知れません。資料保護や著作権などで撮影不可はある程度仕方ないことかも知れませんが、一律に禁止はやめて欲しいですよね。現代はSNS発信が当然の世の中ですから。その点、ここの対応は良かったと思います。
奥州安倍氏と現代の長州安倍氏に関係があるかどうかわかりませんが、盛者必衰に例外はないのでしょうね。
納豆の起源に限らず、歴史上の有名人が絡んだ話の多くは作り話でしょうね。
降魔成道
2020年02月02日 22:04
詩音連音さん、コメントありがとうございます。
次回はぜひホームページアドレスを残して下さいね。私もお邪魔したいので。よろしくお願い致します。